繁殖を卒業したスコティッシュフォールドの母猫ユキ。現在はキャットランドでのんびり暮らしている。

想い・考え

ブリーダーという言葉に、どんなイメージを持つだろう。

金儲けのために命を生ませている。
保護猫がたくさんいるのに、なぜまた増やすのか。
狭いケージで繁殖させ、売れる見た目の子だけを選び、残りは――。

そんなふうに言われることがある。
実際、そういう業者がいるのも事実だ。

ブリーダーとしての経験と現実

だから、私は「自分が正しい」とは言いたくない。
過去にブリーダーとして独立しようと会社を辞めたこともあるけれど、結果的には失敗だった。
儲かった時期があったわけでもなく、赤字が続き、今もその影響で借金を抱えている。
副業と呼ぶには苦しくて、どちらかというと“趣味の延長”みたいなものだと思っている。

命と向き合うことのよろこび

でも、それでもひとつだけ言えることがある。

――子猫が生まれる瞬間を、この目で見るのは、やめられない。

うちの母猫はキャリコで、父猫はレッドタビー&ホワイト。
キャリコの母猫からは、本当にいろんな毛色の子が生まれる。
「え?なんで鼻にそんな大きな黒模様ついた?」みたいな、
ちょっとブサイクで笑っちゃうような子も産まれる。

でも、その予想できない命のバリエーションに、
私は毎回、心を奪われる。

それはもう、「可愛い」とか「売れる」とか、そういう話じゃない。
世界にひとつだけの命が、この手の中で動いている。
その姿に出会えること――
それが、私にとってのブリーダーという活動の、いちばんの報酬なんだと思う。

動物業界の現場で感じた矛盾

昔、あるペットショップで数ヶ月だけ働いたことがある。
業界では有名な店。

そこで働いていたとき、その現場には、動物のことを本当に大切にできる店長がいて、さらに魅力的なスタッフが3人いた。

病気の子がいたら、自腹で病院に連れて行ったという話も聞いた。
接客中でも体調の異変にすぐ気づいて行動できる。
それが“普通”だとは思わないけれど、彼女たちは、それを“当然”のようにやっていた。

私はというと、子犬がうんちをしたら、すぐに手で掴んで片付けることがあった。
食糞を防ぐため、体やゲージが汚れる前に片付けるため、
お客さんに「手で掴むんですか?」という顔をされたこともあるけど、
それでも、目の前の命のためにそうしていた。

でも同じ職場に、「工場長」とあだ名されていたスタッフもいた。
動物に薬を与えるとき、本来は1匹ずつ手を洗うべきところを、
何匹も連続して処理していた。

それが効率的だと思ったのか、面倒くさかったのかはわからない。
でも少なくとも、その人は“命に本気で向き合っていなかった”と思う。

そして一番許せなかったのは、会社としてのルールだ。

夜間の通院は禁止。
提携病院以外には連れて行ってはいけない。

子猫って、本当に急に体調が変わる。
昼に届いたばかりの子が、閉店間際に急変することなんて、よくある話。
でも「病院は明日にして」と言われる。
ルールだから。

もし今すぐ連れて行かなかったら、もしかしたら助からないかもしれない。
でも、それをしてはいけないと会社に言われている。

命よりも、契約と都合が優先される世界。

それを「正しい」とは、どうしても思えない。

それでも、命に向き合い続けたい

ブリーダーって言うと、悪徳とか言われる。
「ペットショップで買うのはいいけど、ブリーダーはちょっと…」みたいな空気もある。
ニュースでは悪い話ばかり取り上げられるし、
SNSでは「繁殖するくらいなら保護して」って言葉が正義みたいに流れてる。

でも、そんなに簡単な話じゃない。

私は猫と向き合ってきた。
病気も見てきたし、育たなかった命も抱えてきた。
それでも、次に生まれてくる命を、毎回楽しみにしてしまう。

たとえ鼻に大きな黒模様がついてても、
それを見た瞬間に「うわ、出たな~」って笑ってしまう自分がいる。
それって、たぶん“正しさ”じゃなくて、“生き物としての喜び”なんだと思う。

私は正義を振りかざすつもりはない。
自分が完璧だとも、清廉だとも思わない。

でも少なくとも、命にはちゃんと向き合ってきたつもりだ。

それだけは、ブリーダーとしてじゃなくて、
ひとりの人間として、胸を張って言える。

そして、今日もまた――
どんな顔の子が生まれてくるかを、心のどこかでワクワクしてる自分がいる。

それが、私の正直な気持ちです。